情報の文明学(1)情報産業論
自分が取り扱っている共同タギングによって作られたデータとは何だろう?情報って何だろう?
ここでシャノンとか、エントロピーとかに行くのがここまでの先行研究のチョイスだったのですが、ここでは一つ視点を変えて人文科学からアプローチ。
選んだのは
- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/04/01
- メディア: 文庫
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詳しくはwikipedia(jp)を参照ください。
さて、いつもの通り印象に残った箇所をピックアップ
P29
情報ということばを、もっと広く解釈して、人間と人間とのあいだで伝達されるいっさいの記号の系列を意味するものとすれば
タグには絵文字も沢山あるわけで、自分がやるタグ機能分析はこの立場にとりあえず立脚すると言うことでいいのでしょう。
P36
理論的には、こうしてすべての情報はこのビットによってはかることができるわけであるが、それはどこまでも数学的ないしは工学的な理論の問題であって、現実には、「今夜のテレビ・ドラマの情報量は何ビットであった」などということは、まるで意味をなさないのである。
さすがに21世紀になってWEB2.0などといわれているこの時期に、ICTコミュニケーションで適用される単位は「ビットだけである」などという人はいないと思いますが、当時はわざわざこういう主張をする必要があったのでしょうね。