進化の前提となるプラットフォーム、ウェブ。

9月に修士課程を修了してから読んだ本の中に、

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

制度・制度変化・経済成果

制度・制度変化・経済成果

がある。

『鉄・病原菌・銃』はいわずと知れた地域における文明発達のスピードにおける差異の原因を丹念に掘り起こした名著。
で、そいつの最もクオリティの高い書評はこれ

で、この書評を抜粋すると文明発達の差が生じた原因は

すべては、初期条件の差だ、と。同じものを与えられれば、後進のアメリカ先住民たちがヨーロッパ人を追い抜いた例だっていくらもある(馬の扱いとか、あるいは一気に世界最高の鉄砲生産地になった日本)。同じ条件のもとでは、決して人類に差はないのだ、と。

で、初期条件がすべてを決めるなら、人為は無力なのかい?という突っ込みになる。

こうした思い・疑問は修士課程の二年間で何度もさせられた気がする。
特にこいつを読んだときは。

哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)

哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)

この本はイタリアの地域間比較をやって、北部イタリアは発展し、南部は遅れまくっているのはソーシャルキャピタル社会関係資本、要は住民間の協力関係とか、まじめさ、とかってやつですな)の有無による、という衝撃的な結論を出したもの。
何が衝撃的って、地域住民のキャラクターって変えようといったって変わらないわけで(秋田県庁だったかがやってる、アピール下手・後ろ向き思考秋田県人改造計画も、たぶんうまく行かないよ、、、。ちなみに僕も自分自身の地元のコミュニティに対する評価は、、、、)、っていうことは、南部は未来永劫ダメってことかい??とすら思えるから。やれやれ。

ってことで、私は地域に縛られる研究に徹頭徹尾背を向けて、ウェブにフォーカスを当て続けているわけです。(ちょこっと、地方に取材に行ったのは、某個人に興味があったから)

と思っていたら、『鉄・病原菌・銃』の著者がWiredのインタビューを受けていて、そこでこんな発言をしてた。

Wired News:しかし明らかに、地理的条件だけがこのような違いをもたらしたのではないと思いますが……新著『崩壊』(Collapse)で、あなたは社会が自滅する過程を描いていますね。

ダイアモンド氏:ともかく地理は影響力を持つ。ただしその中には、克服できるものとそうでないものがある。克服が不可能な地理的条件の1つとして、北極地方がある。イヌイットの人々には、農耕を発展させられるすべはなかった。

 これとまったく反対に、韓国が豊かで北朝鮮が極貧にある理由を理解しようと思うなら、地理に目を向けてもわからない。両国間の政治と経済のシステムの違いに着目すべきだ。

やっぱりシステムの違いも大きいんじゃん。ま、あたり前なのだけれど、ダイアモンドがこのように指摘することに意味がある。で、そうなると出てくるのが比較制度分析ってやつですね。2007年9月の日経新聞私の履歴書はこの学派の創始者青木昌彦氏でしたな。で、この学派の流れの中でも結構大きな役割を果たしたのがこの『制度・制度変化・経済成果』。

世の中がうまく行っているかいないか、支配的な地位にあるかないか、というのの最も大きな要因はやっぱり経済力で(経済力がなければ、戦車も飛行機も買えないわけで。あ、ひとつだけ一発逆転の方法があって、そいつが核兵器なわけですが)、こっちは初期条件がほぼ同じ(アメリカとパプアニューギニアに比べれば)で、片やG8の一員、片やEUのお荷物のイギリス・スペインの差を分析して、やっぱり制度だね、と結論付けている。

一応経路依存性とか、いろいろとファクターはあるのだけれど、この本では「適応的な効率的経路」ということで、制度の進化=経済発展が進む要因を次のように規定している。

不確実性での最大限の選択,さまざまな試験的な方法での企画活動の追求、そして相対的に非効率的な選択を確認しそれを除去する効率的なフィードバック・メカニズム

なぜこのブログでこんな文章を書き連ねたかというと、ウェブ(サービス)ってアーキテクチャの設計、つまりシステム設計だから、こうした知見を踏まえないとな、と改めて思わされたからです。なぜあのサイトには会員が集まって、多くのメタデータが集まって、そのメタデータ集合の規模によって会員のユーティリティが上がって、だからまた会員が集まって、というポジティブ・フィードバックが起きるようなシステム設計であるかどうか、やっぱり重要だな、と。

で、ソーシャルタギングのプラットフォーム(タギングシステム)では、どういった設計が求められるのだろうか。そもそもメタデータは重要な要素足りえるのか(足りえると思っているから、いままで研究しているわけですが)、メタデータが重要であるとしても、タグは重要な機能を果たし続けるのか、それともシステムの中でも違うところが重要なのか、、、

ウェブは基本的に地理的制約はない。つまり純粋に制度・システム設計の良し悪しで決まるもの。だから、シンプルに考えることが出来る研究対象なのだ、という確認をしたのでした。